2025年05月17日
ロンジンが1936年に発表したフライバッククロノグラフCal.13 ZNは、
1936年、ロンジンはヴィンテージウォッチ市場において愛好家垂涎の的であるフライバッククロノグラフCal.13 ZNを世に送り出した。そしてその2年後、まったく系統が異なる機構を持ったCal.12.68 Z STOPを生み出している。それを搭載した時計の名は、ストップセコンド。あまりに名高く偉大なCal.13ZNの陰に隠れているように思われがちだが、ストップセコンドは軍や航空会社にも納品されたプロ用計器の名作である。もっと評価されるべき、その思いで筆を取った。
繰り返し計時に特化したパイロット用計器
ロンジンファン必読書のひとつ『At the Heart of an Industrial Vocation: Longines Watch Movements (1832-2009)』において、著者のパトリック・リンダー氏は「ストップセコンドは、当時の増え続けるクロノグラフの需要に応えるため、コストダウンの一案として開発された」と説く。Cal.13 ZNが誕生した1936年は、軍靴の音が聞こえ始めたころ。軍用としてのクロノグラフの需要に応えるためにストップセコンド機構を搭載するCal.12.68 Z STOPを開発したとする説には説得力がある。
ロンジンによるヘリテージ・アーカイブの精査と整理は極めて優秀で、それを統括するロンジンのヘッド・オブ・ブランディング・アンド・ヘリテージあるでダニエル・フグ氏が来日した際には次のように語っていた。
「Cal.13 ZNは、200点以上の部品を含む高度なキャリバーで、多くの微調整が必要でした。また見事なデザインのコラムホイール、ミニッツレコーダー、そして半瞬間的にジャンプする分針を備えています。対してCal.12.68 Z STOPはコラムホイールを持たず、部品点数も少なく簡素化された構造で、精度も高かったのです」
左がCal.12.68 Z STOP、右がCal.13 ZN。どちらもクロノグラフ用輪列の構造はほぼ同じだが、レバーとハンマーの構造は明らかに違う。Cal.12.68 Z STOPのレバーとハンマーはふた股状で、その連結部をボタンで直接押してそれぞれを働かせる設計だ。対してCal.13 ZNは分積算計が備わるぶん、レバーとハンマーの数は多く、すべてがコラムホイールを介するため有機的にカーブしている。Cal.13 ZNは構造自体が極めて美しい。一方のCal.12.68 Z STOPの機構は武骨で計器らしい印象だ。
上の写真のようにふたつのキャリバーを見比べれば、Cal.13ZNが有機的で複雑なカーブを描くハンマーやレバーを有し、見るからに複雑で美しいのに対し、Cal.12.68 Z STOPはハンマーとレバーの形状が簡略されているのがわかる。コラムホイールの姿も見えず明らかに量産に向いたつくりだ。プッシュボタンもリューズの上側にひとつ備わっているだけ。それゆえストップセコンドは、しばしばワンプッシュクロノグラフと記載されるが、それはある意味では正しいが間違いでもある。ボタンがひとつという意味ではそうかもしれないが、ダイヤル中央にあるクロノグラフ秒積算計針は通常のセンターセコンドのように常に動き続け、ボタンを軽く押し込んでいる(半押し)あいだだけ停止し、さらにボタンを押し込むとフライバックするという仕組み。厳密には通常のクロノグラフとは異なるものだ。
Cal.12.68 Z STOPは、スモールセコンド式のCal.12.68にストップセコンド機構(ハック機構とは別物)を追加し生まれた。香箱と丸穴車の上にレバーとハンマーが載る構造はいささか強引だが、6時位置のスモールセコンドを直接動かす4番車に重ねたクロノグラフ駆動車、そして中間車を介して中央の秒クロノグラフ車へと至る輪列は、一般的なクロノグラフと同じ。しかしクロノグラフ駆動車と秒クロノグラフ車は常にかみ合い、秒積算計針は動き続ける。ふた股に分かれたレバーとハンマーは、ボタンを半押しするとまず下側のレバーが動いてクロノグラフ中間車にブレーキをかける。この位置ではハンマーを固定できないため指を離すと再び動き出すが、ボタンを全押しすると上側のハンマーが秒クロノグラフ車に備わるハートカムを打ち、秒積算計がリセットされる。
ボタンを軽く押せば止まり、離せば再び動き出し、強く押せばリセットできる。ストップセコンドの操作性はパイロットに必要な繰り返し計時に適していた。また1946年には、世界初のセンター同軸秒・分積算計へと進化。一般的なインダイヤル式よりはるかに大きい分積算計針を得たストップセコンドは揺れ動く飛行機の操縦中でも極めて優れた視認性をかなえ、プロパイロットからの絶大な信頼を勝ち得ることとなる。
Courtesy Longines
ストップセコンドは繰り返し計時機能を求める多くのプロや、さまざまなシーンで重用された。3カ国語でストップセコンドを紹介する1939年の広告(1枚目)ではスポーツマンや医者向けの時計として紹介。2枚目の広告では“世界で最も名誉ある時計”としてワールドシリーズを含むすべてのメジャーリーグの試合が、ロンジンのストップセコンドで計時されていることを訴求している。Courtesy Longines Farm
審美性にも気配りされたCal.12.68 Z STOP
既存のムーブメントに秒積算計とその停止・リセット機構を追加するというロンジンのストップセコンドの構造は、一般的なクロノグラフよりはるかに設計期間が短縮でき、製造がたやすく、コストが抑えられた。また当時は水平クラッチが主流の時代だ。クロノグラフを作動させるとテンワの振り角が落ちて精度を下げるが、ストップセコンドは常に秒積算計針が動いているため、テンワの振り角に変化は生じない。前出のフグ氏が「ストップセコンドは精度が高かった」と語った理由がこれだ。むろんベースとなるムーブメントが高精度であることが前提条件である。
その点、ロンジンがベースムーブメントに用いたCal.12.68 Zは、フグ氏によれば「1942年から1946年のあいだにヌーシャテル天文台にも提出され、最も厳しい精度テストをクリアしていた」といい、その出自は申し分ない。各ブリッジのエッジは十分に面取りされ、すべてのネジは高度に磨かれ、香箱の角穴車とリューズ機構の丸穴車の表面には仕上げが施されている。実はヴィンテージウォッチ市場において、ベーシックなCal.12.68 Z搭載モデルの評価は高い。上の写真のストップセコンド用Cal.12.68 Z STOPは初期型でありテンワの受けの耐衝撃機構が心もとないが、1940年代以降はCal.12.68 Zともどもインカブロックが採用されている。追加した機構に関しても、ブリッジにしっかりとした面取りが見て取れ、ハンマーとレバー、ブリッジは肉厚で耐久性に優れているとわかる。クロノグラフ輪列の各歯車のしつらえは、名機Cal.13ZN譲り。その性能は折り紙付きである。
Cal.13 ZNと見比べると武骨に感じるCal.12.68 Z STOPは、単体でつぶさに見れば、各パーツが丁寧に作り込まれ、審美性が高いことに気づくだろう。ストップセコンドの構造は、のちにいくつものメーカーが模倣した。上の3つのモデルは、その一部だ。これらと比べてもCal.12.68 ZSTOPの美しさは群を抜く。とはいえ、他社もそれぞれに個性的な魅力を有していた。
オメガ ジュネーブ クロノストップ。1960年代製。90°ダイヤルを回転させたレーシングクロノの秒インデックスは、現行のスピードマスター レーシング クロノグラフも用いるチェッカーフラッグタイプ。Cal.865搭載。
オメガのジュネーブ クロノストップは1966年に登場し、若者向けの低価格クロノグラフとして多くのバリエーションが作られた。なかでも最もユニークなのが写真のモデル。クルマのステアリングを握った際にダイヤルが正対するよう、右に90°回転して取り付けたレーシングクロノだ。ティソのメディオスタットは、1942年末から販売されたといわれている。当時ティソのクロノグラフはレマニア製だったが、メディオスタットが載せるCal.27-53は自社製との説が有力だ。製造がたやすい構造の利点が生きた好例である。以上2モデルのプッシュボタンはストップセコンドと同じくひとつで、操作方法もストップセコンドと同じ。一方ジャン・ルイ・ローリッヒのストップは秒積算計針が常に動いているのは同じだが、ふたつのボタンを有し、上側のボタンで秒積算計針を停止し続けられる。下側はリセット用で、一般的なクロノグラフに近しい構造とした。
ティソ メディオスタット。1940年代製。ベースムーブメントはロジウムメッキもなく、そのつくりは簡素だ。ケース径は33mmと当時としては標準サイズで、ボンベダイヤルとドーム型風防とも相まって、いかにもレトロな雰囲気である。
ジャン・ルイ・ローリッヒ ストップ。1950年代製。その製造は19世紀にヌーシャテル天文台のコンクールで何度も入賞を果たしたブルスフィルスが担った。ダイヤル外周に30回ベースのパルスメーターが備わるドクターウォッチだ。
なお、オメガのジュネーブ クロノストップは、1967年にスイス時計連盟主催の創造性向上を目的としたコンクールでクロノグラフおよびスポーツウォッチ部門の名誉賞を受賞している。この構造とメカニズムを、ロンジンは30年近くも前に実現していたのである。オリジナルではなく後発が名誉に輝いたことはなんとも寂しい事実ではあるが、これがロンジンのストップセコンドがもっと高く評価されるべき名作なのだというひとつの証拠でもある。
繰り返し計時に特化したパイロット用計器
ロンジンファン必読書のひとつ『At the Heart of an Industrial Vocation: Longines Watch Movements (1832-2009)』において、著者のパトリック・リンダー氏は「ストップセコンドは、当時の増え続けるクロノグラフの需要に応えるため、コストダウンの一案として開発された」と説く。Cal.13 ZNが誕生した1936年は、軍靴の音が聞こえ始めたころ。軍用としてのクロノグラフの需要に応えるためにストップセコンド機構を搭載するCal.12.68 Z STOPを開発したとする説には説得力がある。
ロンジンによるヘリテージ・アーカイブの精査と整理は極めて優秀で、それを統括するロンジンのヘッド・オブ・ブランディング・アンド・ヘリテージあるでダニエル・フグ氏が来日した際には次のように語っていた。
「Cal.13 ZNは、200点以上の部品を含む高度なキャリバーで、多くの微調整が必要でした。また見事なデザインのコラムホイール、ミニッツレコーダー、そして半瞬間的にジャンプする分針を備えています。対してCal.12.68 Z STOPはコラムホイールを持たず、部品点数も少なく簡素化された構造で、精度も高かったのです」
左がCal.12.68 Z STOP、右がCal.13 ZN。どちらもクロノグラフ用輪列の構造はほぼ同じだが、レバーとハンマーの構造は明らかに違う。Cal.12.68 Z STOPのレバーとハンマーはふた股状で、その連結部をボタンで直接押してそれぞれを働かせる設計だ。対してCal.13 ZNは分積算計が備わるぶん、レバーとハンマーの数は多く、すべてがコラムホイールを介するため有機的にカーブしている。Cal.13 ZNは構造自体が極めて美しい。一方のCal.12.68 Z STOPの機構は武骨で計器らしい印象だ。
上の写真のようにふたつのキャリバーを見比べれば、Cal.13ZNが有機的で複雑なカーブを描くハンマーやレバーを有し、見るからに複雑で美しいのに対し、Cal.12.68 Z STOPはハンマーとレバーの形状が簡略されているのがわかる。コラムホイールの姿も見えず明らかに量産に向いたつくりだ。プッシュボタンもリューズの上側にひとつ備わっているだけ。それゆえストップセコンドは、しばしばワンプッシュクロノグラフと記載されるが、それはある意味では正しいが間違いでもある。ボタンがひとつという意味ではそうかもしれないが、ダイヤル中央にあるクロノグラフ秒積算計針は通常のセンターセコンドのように常に動き続け、ボタンを軽く押し込んでいる(半押し)あいだだけ停止し、さらにボタンを押し込むとフライバックするという仕組み。厳密には通常のクロノグラフとは異なるものだ。
Cal.12.68 Z STOPは、スモールセコンド式のCal.12.68にストップセコンド機構(ハック機構とは別物)を追加し生まれた。香箱と丸穴車の上にレバーとハンマーが載る構造はいささか強引だが、6時位置のスモールセコンドを直接動かす4番車に重ねたクロノグラフ駆動車、そして中間車を介して中央の秒クロノグラフ車へと至る輪列は、一般的なクロノグラフと同じ。しかしクロノグラフ駆動車と秒クロノグラフ車は常にかみ合い、秒積算計針は動き続ける。ふた股に分かれたレバーとハンマーは、ボタンを半押しするとまず下側のレバーが動いてクロノグラフ中間車にブレーキをかける。この位置ではハンマーを固定できないため指を離すと再び動き出すが、ボタンを全押しすると上側のハンマーが秒クロノグラフ車に備わるハートカムを打ち、秒積算計がリセットされる。
ボタンを軽く押せば止まり、離せば再び動き出し、強く押せばリセットできる。ストップセコンドの操作性はパイロットに必要な繰り返し計時に適していた。また1946年には、世界初のセンター同軸秒・分積算計へと進化。一般的なインダイヤル式よりはるかに大きい分積算計針を得たストップセコンドは揺れ動く飛行機の操縦中でも極めて優れた視認性をかなえ、プロパイロットからの絶大な信頼を勝ち得ることとなる。
Courtesy Longines
ストップセコンドは繰り返し計時機能を求める多くのプロや、さまざまなシーンで重用された。3カ国語でストップセコンドを紹介する1939年の広告(1枚目)ではスポーツマンや医者向けの時計として紹介。2枚目の広告では“世界で最も名誉ある時計”としてワールドシリーズを含むすべてのメジャーリーグの試合が、ロンジンのストップセコンドで計時されていることを訴求している。Courtesy Longines Farm
審美性にも気配りされたCal.12.68 Z STOP
既存のムーブメントに秒積算計とその停止・リセット機構を追加するというロンジンのストップセコンドの構造は、一般的なクロノグラフよりはるかに設計期間が短縮でき、製造がたやすく、コストが抑えられた。また当時は水平クラッチが主流の時代だ。クロノグラフを作動させるとテンワの振り角が落ちて精度を下げるが、ストップセコンドは常に秒積算計針が動いているため、テンワの振り角に変化は生じない。前出のフグ氏が「ストップセコンドは精度が高かった」と語った理由がこれだ。むろんベースとなるムーブメントが高精度であることが前提条件である。
その点、ロンジンがベースムーブメントに用いたCal.12.68 Zは、フグ氏によれば「1942年から1946年のあいだにヌーシャテル天文台にも提出され、最も厳しい精度テストをクリアしていた」といい、その出自は申し分ない。各ブリッジのエッジは十分に面取りされ、すべてのネジは高度に磨かれ、香箱の角穴車とリューズ機構の丸穴車の表面には仕上げが施されている。実はヴィンテージウォッチ市場において、ベーシックなCal.12.68 Z搭載モデルの評価は高い。上の写真のストップセコンド用Cal.12.68 Z STOPは初期型でありテンワの受けの耐衝撃機構が心もとないが、1940年代以降はCal.12.68 Zともどもインカブロックが採用されている。追加した機構に関しても、ブリッジにしっかりとした面取りが見て取れ、ハンマーとレバー、ブリッジは肉厚で耐久性に優れているとわかる。クロノグラフ輪列の各歯車のしつらえは、名機Cal.13ZN譲り。その性能は折り紙付きである。
Cal.13 ZNと見比べると武骨に感じるCal.12.68 Z STOPは、単体でつぶさに見れば、各パーツが丁寧に作り込まれ、審美性が高いことに気づくだろう。ストップセコンドの構造は、のちにいくつものメーカーが模倣した。上の3つのモデルは、その一部だ。これらと比べてもCal.12.68 ZSTOPの美しさは群を抜く。とはいえ、他社もそれぞれに個性的な魅力を有していた。
オメガ ジュネーブ クロノストップ。1960年代製。90°ダイヤルを回転させたレーシングクロノの秒インデックスは、現行のスピードマスター レーシング クロノグラフも用いるチェッカーフラッグタイプ。Cal.865搭載。
オメガのジュネーブ クロノストップは1966年に登場し、若者向けの低価格クロノグラフとして多くのバリエーションが作られた。なかでも最もユニークなのが写真のモデル。クルマのステアリングを握った際にダイヤルが正対するよう、右に90°回転して取り付けたレーシングクロノだ。ティソのメディオスタットは、1942年末から販売されたといわれている。当時ティソのクロノグラフはレマニア製だったが、メディオスタットが載せるCal.27-53は自社製との説が有力だ。製造がたやすい構造の利点が生きた好例である。以上2モデルのプッシュボタンはストップセコンドと同じくひとつで、操作方法もストップセコンドと同じ。一方ジャン・ルイ・ローリッヒのストップは秒積算計針が常に動いているのは同じだが、ふたつのボタンを有し、上側のボタンで秒積算計針を停止し続けられる。下側はリセット用で、一般的なクロノグラフに近しい構造とした。
ティソ メディオスタット。1940年代製。ベースムーブメントはロジウムメッキもなく、そのつくりは簡素だ。ケース径は33mmと当時としては標準サイズで、ボンベダイヤルとドーム型風防とも相まって、いかにもレトロな雰囲気である。
ジャン・ルイ・ローリッヒ ストップ。1950年代製。その製造は19世紀にヌーシャテル天文台のコンクールで何度も入賞を果たしたブルスフィルスが担った。ダイヤル外周に30回ベースのパルスメーターが備わるドクターウォッチだ。
なお、オメガのジュネーブ クロノストップは、1967年にスイス時計連盟主催の創造性向上を目的としたコンクールでクロノグラフおよびスポーツウォッチ部門の名誉賞を受賞している。この構造とメカニズムを、ロンジンは30年近くも前に実現していたのである。オリジナルではなく後発が名誉に輝いたことはなんとも寂しい事実ではあるが、これがロンジンのストップセコンドがもっと高く評価されるべき名作なのだというひとつの証拠でもある。
Posted by anorajup at
16:39
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